行って帰る
2011-03-22


構造的に理解したからと言っても良い物語が作れるわけではない。ただ、こういう定型は、私たちの無意識を制御しながらつかむ一つの方法でもあろう。シャーマンのように、憑依してことばを紡ぎ出すようにはいかないとしても、そのことばの世界を形には出来る。中上健次は晩年、このようなプロットを意識して劇画の原作を書いていて、そのストーリーを大塚英志が紹介している。考えて見れば、語り手というのは、このプロットを身体に刻み込んでしまった人であって、自在に、物語、つまり、構造化された無意識のそのものを披露できる者のことであろう。中上はそんな存在になりたかったのかも知れない。  

     無常三月物語るまえに潰えぬ

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