もう夏も終わりですが…
2016-09-13


このような哭き歌を実際に見られたのは収穫であった。とにかく哭き歌に圧倒された。近く建物ではきらびやかな衣装を着けたラマ僧がお経を唱えている。18人はいる。これもすごい。そんなに裕福ではない農家の葬式に僧たちが18人も来て、儀礼を行うのである。日本で言えば、大きなお寺の僧侶が全員来て葬式をやるようなものだ。当然費用もかかかるだろう。死者を送る儀礼が長時間(三日間)厳粛にしかもお金をかけて行われる。そのことにも圧倒された。

 この「哭き歌」、歌の研究をしている私にとって衝撃だった。哭くという行為が、憑依に近いものであることがよくわかった。それにしても、この葬式でも男は泣かない。ここにもジェンダーによる役割分担がある。男たちは様々な儀礼をこなしながら粛々と死者を送る儀礼を進めて行く。女たちの「哭き歌」は時にこの儀礼の進行に逆らうようにも思われた。葬儀には必ず、死者をあの世に送る流れと、その流れを阻止する哭く感情とのせめぎ合いがある。そのせめぎ合いが実によくわかる葬儀であった。

 さて、七月から八月にかけて私は、田中芳樹の『アルスラーン戦記』全15巻。『銀河英雄伝説』全10巻、小野不由美『十二国記』全巻(十一冊)を読破した。上橋菜穂子の『精霊の守人』シリーズを読破している私としては、ファンタジー系のシリーズものを一応目を通しておこうと思って読み始めたが、とまらなくなり、全巻読破したという次第。おかげで勉強の時間がだいぶ減った。感想は述べないが、やはり、いろいろ読んで見て上橋菜穂子の描くファンタジーがすごいということだけは言える。上橋菜穂子の新作を期待している。

 韓流ドラマも相変わらず奥さんと見続けている。今見ているのは、「私はチャンボリ」で衝撃を受けた、あのミンジョンを演じたイ・ユリが出ている「きらきら光る」である。「私はチャンボリ」はこの「きらきら光る」の後に作られていて、言わば進化形である。つまり、ここでもイ・ユリは、貧しい境遇からひょんなことで金持ちの娘になるグムランという女性を演じている。彼女は、明るいヒロインに嫉妬し、自滅の道を歩む。つまりだんだんとミンジョン化していくのだ。いやあこれも面白い。はまります。

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