交換経済を生きるストレス
2006-05-28


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ふだん、人は私のことを怒ったことがないでしょうと言う。穏やかな人間に見られている。実は違う。告白すると昔小さな塾で言うことを聞かないで騒いでいる中学生を殴ったことがある。ただし、そのとき、その子に塾の教師を選ぶのはお前の権利だから、俺に教わるのがいやなら経営者にそう言えと言い渡した。その結果、私はその授業を外された。その後その子と会ったとき、笑ったら、笑い返してきたので、まあ良かったなとは思ったのだが、どうも私は我慢するのが嫌いな人間であることは確かなようだ。

今正岡子規を読んでいる。万葉集の近代受容が、国民国家形成の必然的な流れだった、というような最近の近代万葉論に対して、違う見方があってもいいだろうと思って、それならまずは正岡子規あたりから読み直さなくてはと思っている。例えば正岡子規の写生とは何だったのか、万葉から何故写生が出てきたのか、正岡子規にとっての自然とは何だったのか。そういう検証も必要だろう。

柄谷行人の『世界共和国へ』(岩波新書)を読んでいるが、ここで柄谷は国民国家としてのネーションは、「情」の共有が大事だったと言っている。つまりネーションは商品経済によって解体されていった共同体(互酬的交換)の想像的な回復なのだということだ。そこを見誤ると、近代以降の不合理なナショナリズム感情の起源が見えなくなる。

互酬的交換を想像的に残すことによって国民国家は成立するということだ。おそらく正岡子規の短歌革新の運動と自然と自分とを対峙させたあげくの写生は、こういった国民国家の把握のし方と響きあっているに違いない。短歌革新は、旧来の共同体の解体だが、写生は、自然との互酬的な関係の想像的な回復である。そういっていいように思う。

正岡子規の互酬性には彼の病という問題が深く作用している。さて、私もまた自然との互酬的関係を想像的に回復しようとしているところだ。山小屋に時々行くのもその試みだ。一方で、交換経済を果敢に生きている。私が今穏やかに見えるのは、交換経済の側で生きることに価値を置いていないからであるが、むろん、それはストレスとなって返ってきている。当面、通風は治りそうにもないということだ。薬を飲み続けるしかないか。


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