投稿論文
2007-11-07


 勤め先で行う健康診断をしなかったので、今年中に何処かで人間ドックに入らないといけないのだが、さすがにこの時期になると予約でいっぱいである。私の場合、三ヶ月に一度は痛風と血圧で医者に行って薬をもらいついでに血液検査を受けているので、行く必要もないとは思うのだが、規則で行かないとだめらしい。面倒なことである。

 相変わらず、血圧はやや高めでコレステロールも高い。典型的なメタボリックである。原因は運動不足。肉体労働向きの私の身体は、今の職業に合わないのである。運動したいが、何せ、家に帰れば論文書かなきゃいけないし、ほとんど運動する機会がない。駅前のスポーツクラブに入会に二度入会したが、いずれも忙しくて行かなくなり退会した。

 先週の課外講習の万葉集講座の受講生は一桁の数だが、ほとんど二部の学生で、年齢も私とそれほど違わないおばさんたちであった。みんな顔見知りでほっとした。若い人がいないというのも寂しいが、二部の学生は熱心でよく勉強するから、むしろ私としてはこっちの方がいい。それにしても、みなさん元気がいい。羨ましい限りである。

 論の方は今のところ何とか進んでいる。抒情歌の成立を貨幣と商品という喩えで説明づけようとする、おそらくは誰もが思いつかないような論である。一つ間違うとトンデモな論になる可能性もあるが、上手く行けば面白がってもらえるだろう。新しいアイデアで書いている時は、疲れていても楽しいので何とか気力が持つ。そうでないときは地獄である。

 先週の土曜に学会の編集会議があり、若い人の投稿論文の審査をした。不可の論もあった。つい私は自分の投稿論文のことを思い出した。私は考えてみれば投稿論文というのは1本しか書いていないのではないか。私はかなりの分量の論を書いているが、その一本を除けば、全部審査のない紀要かあるいは依頼原稿である。その一本は掲載されたので、落とされた経験がない。楽をしてきたなあと思う。もっとたくさんの投稿論文を書いて、自分の研究テーマをこつこつと積み上げたら、今頃はどうなっていたろう。

 が、それはなかったろう。私が投稿論文を書かなかったのは、何処かで研究者になりたくなかったからだ。評論の文章ばかりを書いてきたのもそうだ。その傾向はいまだ続いている。だが、人からは研究者と見られているのでそれを裏切らないように仕事はしている。頼まれた原稿は断らない(断る時もある)。そうやっていろいろ右往左往しながら仕事をこなして、私は、きっと人生の落としどころを捜しているらしい。うまい落としどころが見つかるといいのだが。

                こつこつと十一月を生きている

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