黄葉の過ぎる知らせ
2009-12-05


今週はあいも変わらずというところだが、いろいろあった。原稿を書く仕事は一休みで来週からということになる。今週は授業に全力といったところだ。卒業レポートを課題にしているゼミでは、添削をしている最中だが、大丈夫かなと多少不安になってきている。とにかく、教師ががんばれるところはがんばらねば。

 金曜日に歯医者。麻酔が好きな歯医者で、静脈に点滴する麻酔で二時間ほど寝ている間に治療。ただ、次の日に治療した歯が痛み、また治療したところとは別のブリッジが外れ、最悪に。今日治療に行ったら、元の歯が駄目になっている。奥歯だが、入れ歯にするか、インプラントにするか、選択を迫られる。入れ歯だとサ音とツ音の発音があまり出なくなるからもしゃべる職業の人には良くないなどと言う。つまり、インプラントしかないということだ。またかなりの費用がかかる、ということだ。私の場合、すでにインプラントは三本入っている。あと二本近々入れることになりそうだ。歳とともにだんだん歯が駄目になってきた、ということである。慎重を期すために、あごの骨の精巧なレントゲンをとるので医科歯科大に予約をいれとくと言われた。

 金曜の夜は、マンションの忘年会。新規入居組が二部屋いたのでその歓迎会をかねる。が、みもなさんいそがしそうなので、全員はそろわず、でも、17人ほど来た。15戸のうちの8戸はそろったろうか。マンションの入り口に白板があって、12月の金土日の表を書き、それぞれの家で、出られる日にちに○を入れる。一番多く○がついた日を忘年会とする。一番○がついたのが4日の金曜だったというわけである。その準備をしたのは、親睦係の我が家であった。

 住人同士の連絡やコミュニケーションはこの白板で行うことにしている。ゴミの出し方がわるければ、誰かが書き込み、だれかがすいませんと書く。庭の掃除をどうしようかと誰かが書けば、誰々さんにお願いして業者に頼んだらとか、公共スペースの電球が切れましたとか、とにかく、いろんな事が書かれていて、非常に大事な白板なのである。

 このマンションは成立30周年を迎え、当初からいるKさんが30年の歴史を振り返った資料をCDにして全戸に配った。それを見ると、住民が組合を作って共同で建てた日本最初のマンションということで、あちこちの雑誌で取り上げられていて、その記事には住民の写真や部屋の様子の記事が載っている。それがなかなかおもしろい。30年前はみんな若かった。音楽家、画家、建築家、大学の教員と様々な職業の人たちがいて、みんな団塊の世代だから、マンション建設の方針を巡って激論し、当初の参加者の半分以上のものが去って行ったという。最初にコーディネーターをやっていた人は、あまりに専横的だったので、みんなで追い出したという話も聞いた。

 崖地の林にたつ建物なので周囲の反対運動もあって、完成にこぎ着けるまでそれぞれの住民の苦労は大変だったらしい。が、結局、その苦労がコミュニティを強くしたということのようで、できた当初は、庭で毎週のようにバーベキューやら宴会をやっていたということだ。その伝統が今でも続いていて、春の花見や、秋のバーベキュー、年末の忘年会と、管理費から費用を出してイベントを行っているというわけである。15戸のそれぞれの部屋の大ききは同じだが、レイアウトは全部違う。住民が皆個性を発揮したためで、だから今でも同じ間取りの家はない。

 私は歯を治療したばかりであまり楽しくはなかったが、まだ会ったことのなかった下の階の音楽家の夫婦と挨拶ができたり、いろいろと自分の住むマンションを知る機会となった。


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