若き画家の話
2011-01-16


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今日はセンター試験。一日、朝から夜まで試験業務である。昨夜はホテルに泊まり、今朝朝7時過ぎには学校へ。終わったのが、夜の七時半だから、12時間仕事をしていたことになる。私は、問題を監督者に配布する役で、一日坐っているだけだったが、さすがに、疲れた。

 実は、金曜日の夜に新宿南口の紀伊國屋ホールで、1973年生まれの新鋭画家、、三瀬夏之介と池田学のトークショーがあり、奥さんと見に出かけた。奥さんの知り合いが小さな出版社をやっているのだが、その出版社が二人の画集を出したのでその記念イベントである。客が少ないと困るので私も動員されたというわけである。

 が、このトークショーなかなか面白かった。特に、池田学の絵には圧倒された。ペンによる細筆画で、色は塗らない。いろんな色のペン筆による線を重ねて色を出していく。とにかく、そのデッサン力は信じられないくらいすごい。一つの作品を仕上げるのに2年ぐらいかけるという。毎日こつこつと細部を細いペンで描き込み、その細部が次第に増殖するように拡大していき、圧倒的なイメージのシュールな世界を描き出す。イメージは、宮崎駿の描く、空中に浮かぶ城とか、ハウルの動く城に似ている。巨大な波がいつの間にか山になったり、細部に動物や人間が動き回っているのは、ボッシュの絵のようでもある。(写真は池田学)三瀬夏之介は、水墨画風の絵で、こちらも似た作風であるが、墨の濃淡を利用しながら、自然の中の神秘的世界を描いている。

 三瀬夏之介は山形芸術工科大の教員でもある。赤坂憲雄の名前も出てきた。教員だけあってよくしゃべる。理屈っぽく自分の画を語っていた。一方、池田学は、芸大時代はサッカーと山登りばかりやっていて、卒業展で書いた画が認められていつのまにか画家になっていた、という。職人のようにただ毎日ペン画を書いている、それが楽しいという。まったく理屈がない。くったくがなくしゃべる。とても画家のようではない。たぶん、描いているときはほんとに無意識になりきることができる人なのだと感心した。三瀬は書くことの意味を常に問い続けながら画き、池田は、何も考えず画く。とても好対照の対談でなかなか面白かった。

 そろそろ益田勝実論を書かなきゃまずいのだが、なかなか書き出せないでいる。今日もずっと益田勝実のことを考えながら一日センター試験の仕事をしていたのだが、何にも浮かんでこなかった。理由はわかっている。益田勝実の仮説はときにとても大胆なのだが、結局、その論理はとてもバランスがいいのである。つまり、論理自体はちょうどいいところに収まる。その意味で、彼が、折口信夫ではなくて、柳田国男論を書いたのはよくわかる。そう考えたとき、私もまた益田勝実みたいなものかもしれないなどと思うのである。私も折口よりは柳田論を多く書いている。バランスがとれているわけでもないが、結局、想像された世界の彼方へ行くより、想像する人間のリアリティに関心を持つ、というところが似ているのだろう。そういう関心の持ち方をどう評価するのか、それが見えないからたぶん書けないのかも知れない。

                         大寒や描かれし森に分け入る

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