文学が呼ばれる時
2011-12-08


ブログを書かないでいて、心配している人もいるかと思う。忙しいというわけではなくて、一段落ついて、少し身体を休ませようと思って睡眠時間を意識的に増やしたら、ブログを書く時間がなくなってしまった、というところが本当のところだ。

 書くことはないわけではないが、なかなか思った通りにいかないということも多いので、書く気にならないといこともある。学科の改組も雲行きが怪しくなってきて、実現するかどうか先が見えない。

 すでに忘年会シーズンだが、12月は学会にも顔をださず、なるべく家にいるようにしているのだが、先週の土曜は昔からの仲間の忘年会でこちらには顔を出した。それでも学会の忘年会が後一つある。そういえばマンションの忘年会もあった。二回あるということだ。

 11月はほとんど休みがなかったので、さすがに身体が悲鳴をあげた。風邪を引くと後が大変なので、とにかくこの師走は自重である。

 「文学のリアリティ」というテーマの学会大会も仕事で行かずじまいだったが、なかなか面白かったようだ。ただ、私は企画の時にこのテーマはまだ早いのではないかと意見を言ったことがある。大震災がらみのテーマだが、まだ行方不明者を遺族が探しているようなリアルな状況では難しいテーマではないかと言った。震災について語ることはいいとしても、もう少し時期を置いてからの方がいいのではという発言だった。

 むろん、ここでの文学は私たち研究者にとっての「文学」のこと。「文学」だっていろいろある。例えば、震災の後すぐ、歌人たちは歌を詠んだ。歌は対象に訴えかける力を持つし即興性もあるから、こういう時、短詩は現実と同様にリアリティを帯びることが出来る。が、小説となるとこうはいかない。まして評論や研究となるとそれなりの時間が必要ではないか。今、評論や思想が元気なのは、原発問題である。原発事故は、国家がからんでいるので、国家の犯罪を指摘出来るし、国民の価値観の転換そのものを訴えやすい。

 南三陸の馬場中山地区の人たちが自力で復興を遂げていくドキュメンタリーのことを以前に書いたが、あれを見て思ったことがある。馬場中山地区の人たちは、インターネットで呼びかけて、いろんな人たちのボランティア支援を受けた。土建屋はダンプを持って来て砂利を敷いた。大工の人たちは仮設住宅を作りに来た。とにかく、それぞれの職業の人たちが自分たちの職業技術をいかして助けに来てくれた。自分の職業をいかせない人たちもそれなりの労力を提供するために来た。さて、文学はこういうときに呼ばれるのだろうか、ということである。役に立たないなんて思わない。必ず必要とされる。それはどういう時なのか、という問いである。

 たぶん、人々が自分たちの体験を語り出さざるを得ないとき、あるいはそれを聴きたくなるときだ。そういうときに、つまつらない語り方やつまらない話は誰だって聞きたくない。迫真力のある文体で語る人に感動するだろうし、自分たちだってそういう文体を得たいと思うだろう。わかりやすく言えば文学が呼ばれる時とはそういう時だ。

 そして、それはまだ早すぎる、というのが私の考えだ。文学とは再現なのだ。家族の死を悲しんで涙を流しているときのその悲しみは文学によるものでなはない。だが、何年かたってその悲しみを言語で再現されて涙を流すとき、文学は成立しかかっている。


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