勘違いなら困ったことだ…
2013-12-09


土曜日は、短大時代の教え子が、学会で研究発表ということで聞きに行く。さすがに教え子の発表ははらはらする。編入して四大に行き、研究者を目指している。短大で古事記の授業をしていたときの学生だから、少しは影響を与えたのかも知れない。発表については私が指導しているわけではないので、余計大丈夫かなあという思いがあった。

 が、発表の態度はたいしたものだった。落ち着いて、パニックにならずに厳しい質問に良く耐えていた。発表は、厳しい質問の集中砲火にあって撃沈というところだが、最初の学会発表は、まあこんなものである。資料がまだまだ足りないし論理も甘い。ただ、目の付け所は悪くはない。良くも悪しくも如何にも新人の論らしさが出ていた。批判する側も、おおかたは新人を潰さないような配慮があった。一人だけ容赦ない批判をした大学院生がいて、心配したが、何とか耐えたようだ。結構打たれ強いなと感心。

 懇親会を途中で抜け出して、次の忘年会に向かう。かつての学生時代、学生運動に明け暮れていたころの同志の忘年会である。遅れて行ったが、いやはや40名を超えるもう老人と呼んでもいいような連中が、楽しげにあれこれと酒を飲みながら話してる。聞けば、40年ぶりとか45年ぶりに会ったという人もいて、懐かしさで話が盛り上がっているようだ。何となく全体がくすんでいるのは、男ばかりだし、もうリタイアしている人たちばかりということもあるだろう。そろそろ老人会という感じである。

 これだけ集まったのは、昔のいろんなわだかまりが吹っ切れたというとこもあるだろう。むろん、そうでないものもいる。学生運動が終わっても、40年間、毎月一度集まって、互助会だと言いながら飲み会をやっていた。ある時代は数名しか集まらなかったのだが、ここ数年、忘年会は、かなり集まるようになった。学生運動後、みんなそれなりに後ろめたさを抱えて社会に復帰している。生活に追われて、過去のことを振り返る余裕も無かっただろう。それが、ここにきて、定年になり、若い時の仲間達とふと話をしたくなった、ということか。いろいろわだかまりを抱えても歳月がそのハードルを下げてくれる。反原発や、秘密保護法案など、とりあえず共通して話せる話題もある。

 私と言えば、まだ現役で、仕事に追われ疲れ果てている。みんなとつきあって議論するほどの英気がない。情けないが、「秘密保護法案まったくこまったもんです」と適当に、相づちを打ちながら、私より年寄りの話をだだただ頷いて聞くばかりだ。

 それにしても秘密保護法案は困ったものである。かつての、国家の秘密主義は、帝国主義国家間の競争(戦争)という側面があった。米ソの冷戦がその緊張関係を引き継いだが、冷戦が終わると、とりあえず、世界の国家はデタントとともに情報公開の方向に流れた。

 その流れをとめたのは、アメリカの9.11テロと、中国の軍事力強化だろう。いずれも、米ロ、日欧による、政治、経済支配への反動として生じたものだ。9.11のとき、中国の民衆が手をたたいて喜んだことが、そのことをよくあらわしている。


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