システム論か文明論か
2015-01-13


年末年始は山小屋に行っているので、ブログの更新はしていないかったが、さすがに長いこと更新していないのでどうかしたのかという問い合わせもあった。とくにいそがしいこともなかったのだが、いろいろあって、つい更新をさぼつていただけだ。

 山小屋は大雪で大変だった。雪かきの苦労というものを味わった。雪国の人の大変さを身をもって知った。鹿も食べ物がなくなり別荘地をうろついているし、カモシカにもあった。ベランダに野鳥のために向日葵の種を蒔いたらリスがやってきた。千客万来である。

 六日には東京に戻る。年末年始、体調に気を遣いながらもっぱら本を読んで過ごす。エンタメ系としては、伊坂幸太郎の本を三冊ほど読む。『ラッシュライフ』『フィッシュストーリー』『オーデュボンの祈り』。おすすめは『ラッシュライフ』。伊坂幸太郎の中ではこれが一番の傑作ではないか。『フィッシュストーリー』は短編集だが、小説の「フイッシュストーリー」はいまいち。が、映画の「フイッシュストーリー」はとても面白い。この映画の原作ということで読んだのだが、読まなきゃよかった。それから宮部みゆき『鳩笛草』。超能力者を描いたかなり前の短編集だが、さすがにうまい。プロの作家というのは宮部みゆきのような作家を言うのだと思う。

 他に、児童文学でメーテルリンク『青い鳥』、岡田淳『二分間の冒険』。来年度のワークショップでやる作品候補である。ムーミンで行こうということになつたが、著作権の問題がかなりむずかしいらしく断念した。そこで、他の候補ということで、いろいろ探しているのだが、結局『青い鳥』に決まった。ただ、個人的には『二分間の冒険』が好みである。『青い鳥』はけっこう難解である。読めば少しも児童文学ではない。が、著作権も問題なさそうだし、脚色のしがいもあるということで決まった。

 思想的な本では加藤典洋『人類が永遠に続くのではないとしたら』、吉本隆明『反原発異論』。反原発に関わる対照的な本である。吉本は反原発に対して批判していたことはよく知られているが、この本はその発言をまとめたもの。科学技術というのは一度新しい技術を生み出したらそれを発展させていくしかない。それが人間というもののあり方であって、危険が伴うとすれば、それは、科学技術の高度な達成のなかで克服していくしかない。もし、リスクを恐れてその科学技術をやめるとすればそれ人間をやめるということだ、と吉本は主張する。

 加藤典洋は、3.11以前は吉本の主張に理解を示していたのだが、3.11以降、吉本の主張に違和感を覚えていく。つまり、原発が抱えるリスクは克服出来るものではないとする考え方をとるようになる。そのことは、人類の歴史、あるいは人間と自然との関係にとってどういう意味を持つのか、と文明論的にあるいは人間論として考察をすすめ、原発を止めるべきだということの原理論を構築していく。

 吉本さんの主張はわかりやすいし、いっさいぶれないなあと感心した。加藤典洋の本はとても面白かった。「有限」であることを認めよというのが加藤の主張の根幹にあるテーマだが、その考え方がとてもよくわかった。

 私は反原発運動に対しては距離を置いている。周囲はほとんど反原発を唱える人ばかりだが、原発に対して、その危険性は理解しているが、それならどうするのかと問われると、正直私自身はよくわからないというしかない。ただ、現状では、日本においては、原発は少なくしていかざるをえないだろう。ただ、徹底して無くすべきだというところまで言い切る理屈を私は持っていない。


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