神話研究のガラパゴス化
2015-02-16


授業が終わり、入試もB日程を残すのみとなり、採点も済んだ。これで楽なったかと思いきや、そうでもない。Kさんから三層の本棚を譲ってもらうことになり、そのスペースをあけるために部屋の本の整理をしている。三層の本棚といっても横幅が2メートル40ある。高さ2メートル30。横幅90センチ、高さ1メートル80の普通の本棚が9本入る容量だという。もちろん、オーダーメイドの本棚で、買えば百万近くするらしい。業者が運んできて組み立てる。私が払うのは運送費と組み立て費用だけだ。ありがたいことである。

 もらい手がいなければ廃棄するというので手をあげた。わが家は小さな本棚が壁を覆いつくしているので、本棚の整理をしようと思っていたところだ。三層の本棚でかなりすっきりするだろうと思う。ただ、本棚のスペースをあけるために、今ある本棚の本を移動し、本棚そのものを処分しなければならない。その作業で毎日忙しい。

 『古事記はどのように読み継がれてきたのか』という題の原稿を引き受けた。いつもなんで私がと思うのだが、これも勉強である。ただ、締め切りが本棚の搬入と同じ時期で、重なってしまった、古事記受容史の勉強をしながら、本を片付ける毎日である。

 『短歌の可能性』の礼状が毎日少しずつ届く。私は筆無精で礼状をなかなか書かないほうなので、こうやって礼状をいただくことはありがたいことである。今回の本は、刺激的であったという感想があり、まあ、それなりに出したかいはあったということだ。

 それにしても『古事記』は不思議な書物だ。経典でもないのに経典のように読まれたり、史実として読まれたり、国民国家のアイデンティティとしての聖典になったり、その時代時代の神話への想像力を掻きたて、起源神話を絶えず書き換えさせたり、また、研究者にとって、一生それで飯が食えるテキストであったりと、こんな書物は世界に例がないのではないか。何年かまえに中国の神話研究者と座談したことがあったが、そこで中国の研究者から、今の日本での神話研究の方法とはどんなものか、と問われた。うーんと考え込んで、上手く応えられなかったのだが、考えてみれば、日本での神話研究は、古事記研究に尽きてしまう。『古事記』というテキストにまつわるさまざまな研究が、日本の神話研究である。

 中国では、多くの少数民族がいて神話を持っている民族も多い。その意味で、神話研究は、オーソドックスな文化人類学的な方法や構造主義的方法がまだ通用する。漢族の神話のように書物にしか残っていないというのとは違う。ナシ族やイ族のように経典に記されているケースもあるが、それらは現在でも宗教者に唱えられ社会に機能している神話である。それらの神話の研究の方法は、外部から解き明かす文化研究と言っていいだろう。つまり、西洋の学者による、アジアアフリカの民族文化を分析する方法が、そのまま用いられている、ということである。

 が、日本の『古事記研究』はどうもそうではない。明治以降そういう方法が入ってきたが、古事記研究そのものの主流にはならなかった。それは古事記研究があくまで内部からのまなざしによるものであることを前提にしているからだ。斎藤英喜が、古事記と出逢った外国人であるラフカディオ・ハーンについて書いているが、彼は、日本人以上に内部に入り込んだ外国人であった。そのため、外部からの興味で古事記を翻訳した同時代のチェンバレンと仲違いをしていく。チェンバレンは古事記の世界を、アジアアフリカ的な遅れた文化とみなすところがあったが、ハーンは、感動し、内部に入り込む。


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