2007-02-04
とてもいい天気で、家の中に閉じこもって採点やってる場合じゃないのだが。こんな日は近くのスキー場に行って一滑りといきたいところだが、そんな余裕はない。今年はまだスキーをしていない。まあ、歳も歳だから一滑りしたら2・3日は身体が動かなくなるだろう。それを考えると、今は我慢しよう。
柳沢大臣の女性は産む機械発言が相変わらず世間を騒がせている。別にやめたから問題が解決するわけでないことは誰でもわかっている。やめさせないのなら、保育所の待機児童を今年中にゼロにするから勘弁して欲しい、くらい言わないとだめじゃないのか。結局、子育てに良い環境作りが出来ていないことが問題なので、その環境作りが何故出来ないのかというと、女性が家庭で子どもの面倒を見ればいいという発想がこの国の男の政治家にはまだあるからだろう。
そうありたいのなら、共稼ぎをしないでも、3LDKくらいの家が持てて、子ども二人を大学までにやれる位の生活環境を、少なくとも、50パーセント以上の国民に保証しないと問題は解決しないはずだ。みんなが好きこのんで共稼ぎをしたいとは思ってはいない。働くのは女性でもいい。子育ては男がやってもいい。問題はどっちも子育ての余裕すら無いほど働かざるを得ないという現状にある。その意味では、現在の日本は富の再配分の仕組みに問題がある。給与をもっと上げて、生活水準の底上げをしないと、少子化はとまらないだろう。給与を上げられないのなら、子育てのコストを安くするような施策や、社会保障のインフラを充実させて安い給料でも子育てが可能にするしかない。
もともと、男が労働して女性が家庭で子育てというのは、給与労働という形態が成立した近代以降の考え方である。日本に律令国家が成立したとき、租庸調という税金の制度を定めたが、調は地域の産物を納める物だった。その産物とは、海の産物などは鮑などで、陸では布や糸であった。実は、これらを生産していたのは女性であったと網野義彦は指摘している。鮑は海女が取っていたし、布を織るのは女性だった。
江戸時代の農民も町民も、ほとんどの家では女性は様々な形で働いていたという。近代になって、役所や会社というものが成立し、給与労働になって、ようやく労働しなくてもいい女性が現れたというわけである。それなら、近代以前の女性は働きながら子育てをしていたことになり、もっと大変じゃないかということになる。確かに大変だったと思う。ただ、核家族ではなかったし、地域の共同体が機能して、子育てを助けていたという面もあろう。
核家族化がすすみ、地域共同体が失われると、給与労働の夫を持つ女性は、その労働が、夫の世話、子どもを生むこと、子育てに限定されてくる。産む機械発言の女性像は、この家庭に閉じられてしまった近代以降の女性像のことと考えてよいであろう。
柳田国男は『明治大正史世相篇』のなかで、大家族の中心である食事や火は本来男が管理していたのだが、近代化によって、それが女性の手に移り、そうやって家族が分裂していったと述べている。皮肉なことだが、女性を小さな家族に閉じこめたことは、家父長が管理する大きな家族の解体であり、それはある意味で女性の自由の獲得である。女性の社会進出だけが女性の自由をもたらしたわけでないことは確認しておく必要がある。が、同時に、そのことによって産業革命を体験した近代産業社会が押しつけた役割に女性が縛られることになったというわけだ。
セ記事を書く
セコメントをする