したたかさが大事
2006-12-12


12月11日
 今日は学校へ行くと決めていた日だが、休ませてもらった。今週は土曜まで仕事がびっしりと入っていて、先週も月曜から金曜まで出校で、まあ会社勤めはこれが普通なのでしょうが、研究日が取れなかったので、今日は家で本を読もうと思ったのである。

 私は管理職で会議が多いのでその分授業が少ないのであるが、それでも授業の準備は一日かかる。もし、レベルの高い内容で、しかも、学生サービスを丁寧にやるつもりだつたら、授業は週3コマくらいが限度だろう(普通教員は週6コマ)。そのくらい授業の準備には手間暇がかかる。むろん、新しい内容ではなく、繰り返しのものであるなら少しは楽だが、それを学生に分かりやすく工夫するのは、毎回同じというわけにはいかない。例えば、講義形式の授業では、私は、毎回学生に質問や感想を書かせ、それを読んで、必要な質問や感想にはコメントをつけ、それをワープロに打ちこんで、プリントに印刷して次回の授業に配布する。口頭でしゃべることもあるが、それをやると授業が予定通りすすまなくなるので、プリントを配ることにしている。

 演習の授業も、学生の発表に対して他の学生にコメントを求めるが、それでも全員に質問・感想を書かせ、それをまとめたものを次回の授業までにワープロで打ちこんで全員に配る。講義形式の時は、質問、感想の学生の名前を書くが、演習の時は書かない。というのは発表者への批判もあるからで、名前を出すと誰も批判めいたことは書かなくなるからである。講義形式の場合私への批判は書いてこないかというとさすがに名前を書かせるからそれはない。が、どうせアンケートがあるから、その時はいろいろと書くだろうと思う。

 私はなるべく分かりやすいように、興味を持たせるように授業をしているつもりであるし努力は惜しんでいないが、それでも、そんなに評価が高いというわけではない。人間、向き不向きというのもあるしなかなか思うようにはいかないというのが世の常ということだ。

 私は予備校時代の時は、不人気講師だったこともあるし人気講師だったときもある。いつもうまくいっていたわけではない。教員は天職だと思ったことは一度もない。人と付き合うのが苦手で、しゃべるのも上手くないし、声も通らないし、よく人前でしゃべる職業についたな、昔の私を知っている人は驚くだろう。ただ、何事も懸命にやればそれなりにはうまくいくということが私の場合あてはまっているにすぎないのだ。まあ生きるためにはどんなことでもこなすという、それなりのしたたかさは身につけたかなあとは思う。

 今の学生に望むことはそういうしたたかさだ。どんな職業に就こうとそんなに上手くいくわけではないが、努力すれば何とかなるものだ。私も、授業が上手くいかなかったときや、学生のアンケートが良くないときはそれなりに落ち込むが、そういえばそこんとこはあんまり努力しなかったなあ、しかたねえ努力するか、ぐらいに気持ちを切り替えてそういうことは忘れることにしている。

 失敗したときの自己嫌悪にどれだけ耐えうるか、それをストレス耐性というらしいが、企業で出世するかどうかを見極める時のポイントだそうだ。ストレス耐性を作る教育というのがあるのかどうか。私の学科では来年度から心理学コースを作るが、そこで教えられればいいのだが。

 そういえば、宗教人類学のS氏からメールをいただいた。今、彼は自らを“流しの非常勤”と称して、授業の中で学生に学生自身の応援歌を作らせそれを彼がライブで歌うそうだ。それが意外にセラピー効果になるそうだ。一度私の授業に出て、流しをしてくれと頼んでおいた。

冬服を脱いでしまえよしたたかに

12月10日

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